何にもしたくない日
何にもしたくない日。が、最近増えてきた。
数少ない今でも連絡をとっている幼なじみの誕生日、おめでとうメッセージの返答が「年齢重ねるごとに、やりたい事、行きたいところが増えてきた!」。
おー、私と反対だ。
若い頃はいろいろチャレンジして、あの頃の好奇心や行動力は何処に言ってしまったのか。
引き寄せの法則がと、いつも頭をよぎってしまうが、よっぽどでなければ自宅で何もせずに1日を終えてしまっている。
まぁ、何故かは分かってるんだけれどね。
会社の世代交代の雰囲気が色濃く、社内派閥の動向があやしい。
すでに、この夏、同じチームで1人、同じフロアでは3人辞めてしまった。
長い人生、リタイアできるほどの資産がないので、なかなか踏み切れない退職。
ということで、本日、転職エージェントに登録してみた!
職務経歴書を追加したり、過去の内容を推敲したり久しぶりに人生の棚卸し。
やり甲斐があった仕事、辛くて辛くて死にそうになった仕事。
若い頃は間に合いそうもない締め切りで、何泊も会社に泊まったことも。
海外では、暴動で中国のホテルに缶詰になり、日本人でないふりをしたこと(2度ある)。
イタリアでストに巻き込まれて、飛行機に乗れなかったこと。
台湾で台風に巻き込まれて延泊したこと。
出張手当が整備されてなかったので、ヨーロッパで自炊して過ごしたこと。
単独出張ばかりで、思ったより、一人で奮闘してきた気がする。
もう一踏ん張り奮起できるか、は、この年齢でも許容していただける会社があるか次第。
できれば、来年から新しい生活で、少しでもやり甲斐があり、やる気が出る日常を過ごしたい。
が、本心は、もうゆっくりリタイアしたいんだなぁ。。。
ネイティブインディアンの占い
留学時、誘われて居留地で占いをしてもらった。どんな経緯だったのか全く記憶にはないけれど、テントに入ると老婆が焚火の前に座っていた。しばらくして鎮火後の灰を掻き回し、強烈な燻った煙の匂いとともに語られた占いの内容は覚えている。
魂は男性。
何度も生まれ変わっているが、基本いつも孤独で何処に住んでも安住の地とはならなかった。
今生も同じであろう。
根無草でどこに住んでも帰属感は持てない、反面、世界の何処でもどんなところでも問題なく逞しく生きていける。
見方を変えると、あらゆる場所があなたの居場所となるであろう。
なかなかにハードなお告げだった。
そういえば、大学研究室の先輩に前世占いを勧められて、みてもらったことがあったのも思い出した。アンケート形式で沢山の質問があり、回答、後日手紙で結果をいただいた。
前世は15世紀でスコットランド人の男性。
貿易を生業とし、自分も船に乗って世界中を回っていた。
生涯独身で客死、根無草で人生を終えた。
なんだか似たような内容で、何となくさみしい感じ。
もう少し遡ると、高校生の時の人相、手相占い。
晩婚で、完全な大器晩成型。若い内は苦労するが、お金には一生全く困らない、幸せに長生きすると。
そういえば結婚や家族については覚えていないが、健康でかなり長生きするだろう、と言う話が頭に残っている。
そんなこんなで、家族に囲まれた賑やかな人生ではないだろうとは思っていたものの、晩婚でも伴侶くらいと言ったら失礼だが、30歳くらいまでは結婚はできるだろうとたかを括っていた。
もはや晩婚と呼ぶにはいささか遅すぎるが、積極的ではないものの良縁があればやぶさかでもない。
穏やかに、ささやかな日々の暮らしを共に楽しめる人ができたらいいなと思うが、希望は週末婚程度。いや、独り暮らしが長いと、それでもいろんな"しがらみ"が大変そうで、単純に友達のご近所さんがいいなとも。
かと言って、気の置けない友人を新しく作るのは至難の業。むしろ異性で色恋無しの親友なんて難易度が高すぎる。。。
現在の私。なんとなく最後に占ってもらったインディアン占いがふと頭をよぎる。
家族を持たず、実家もなく、今住んでいる場所には縁もゆかりもない状態。伯母の老後が心配と転職で引越してきた理由の一つだったが、伯母もコロナ下で亡くなった。
会社勤めが今の場所にいる唯一の理由。そのストレスフルな会社勤めから解放されたいが、この街に留まる理由はない。
不便は感じないが友人もおらず、知り合いも少ない。老後が長いとすると、いささか不安でもある。
なかなかにハードなお告げが、「新天地を探すのもよいかもよ?」とも誘惑してくる今日この頃なのです。
諸行無常と、日本の未来と、私
家は短命の家系。
母方は後継もなくすでに断絶、従姉妹も皆苗字が変わった。父方にも従兄弟(従姉妹も)は一人もいない。
実家は両親が亡くなった時に片付けて今はもう無く、双方の祖父母が住んでいた家には長らく誰も住んでおらず荒れ放題、跡取りのなかった家は解体され更地で野晒しになっている。
田舎はどこも似たような状況なんだろうな。
両親の実家の周りはみんな同じ苗字で、代々の土地を分け合って家を建てた名残を感じる。
解体された父方の家はカタカナのコの字で真ん中に中庭と井戸、家の周りにも庭がある大きな家だった。
水道と井戸水両方が台所に引かれ、夏でも冷たい水で手が凍りそうだった。井戸水で冷やしたトマト、キュウリに大きなスイカは冷え冷えで美味しかった。
母屋には天窓があり、冬は見上げると雪が降るのが目で分かる。
向かいの棟の2階の部屋は仕切りを取ると、3面が窓の海が見渡せる大きな部屋になる作りで、夏は気持ちの良い風が山側から海に向けて通り抜け、冷房がなくても涼しかった。
この2階の部屋で毎日朝10時まで勉強。夏休み帳など伯母に見てもらったり、庭から大きなダリアの花を摘んできて絵を描いたり、課題の工作もここで仕上げていた。
お風呂は五右衛門風呂。風呂釜の焚き付けで焼き芋を焼いてもらうのも楽しみで、黒くなったアルミホイルの塊を灰の中から掻き出し、お宝探しみたいだった。
田舎あるあるで、トイレは一旦外に出なければならない作り。小さかった頃、夜は怖くて一人でトイレに行けず祖母についてきてもらっていた。
「おばあちゃん、いる?」
「いるよ」
「おばあちゃん、まだいる?」
「ずっといるよ。大丈夫、待ってるよ」
「本当にいる?」
本当に怖かった。大きな蜘蛛がいることもあり、いると入れない。確認してもらっていないと分かっていても目が探し、夜だと本当はいるんじゃないかと怖さが倍増した。
物心ついた時から中学生くらいまで春休み、夏休み、冬休みと長い休みの間中過ごしていた家。
解体には立ち会っておらず写真でしか見ていなかったので、久々に訪ねたところ、更地を見て思った以上にショックを受けてしまった。
大好きだった沈丁花の花、庭にあったキウイの木も、大きな花をつけていたヨルガオ、高野山詣で記念に買ってきたまきの木も、もうどこにもない。
あとは、家から離れた場所に山と畑もあるはずだが、私にはもはやどこだかさっぱり見当もつかない。
家の隣は、一部駐車場や畑に様変わりはしているが生い茂る樹木のある庭は広く、記憶にある家の面影を残した本家がまだあった。子供の頃隣近所の親戚が集まり年末恒例の餅つきを土間で行なっていた本家。大きな土間はもうどこにも見当たらず、増築された部屋になっている。
昔と変わらず生垣に沿った砂利道を歩み本家へ。親世代の本家ご主人夫婦はすっかり高齢者となっていたが、まだまだ健在だった。昔、休みの度に一緒に遊んだ子供達は皆家を離れ、遠くに住んでいるとのこと。もう戻ってこないだろうと言っていた。
墓参りがてら近所を少し歩いて回ると、そこかしこの家には人の気配もなく、閉ざされ朽ちかけている家も少なくない。子供の頃からは想像がつかない町の寂れ具合で、諸行無常を目の当たりにした感じ。
自分の老後も心配だけれど、日本の田舎町自体も "後期高齢者" となっているようで、これからの先行きが心配になってしまった。普段都心に住んで忙しく過ごしているとなかなか気付かないけれど、人口減少、加速化を肌で感じた1日だった。
それにしても、帰る場所がなくなってしまった、と、改めて実感すると本当に淋しい。遠くない未来、一緒に過ごした子供の頃の思い出を持っている人も、私のことを昔から知っている人もみんないなくなってしまうだろうし。
そのうちメタバースやVRで過去の記憶がリアルに再現、追体験のようなことができるようになると課金してしまうかも。。。
あと、墓じまいまでしてしまったら、私の実体?本体?は何処に行くことになるのかな。
フルリタイア or セミリタイア
コロナ禍が続いたことで色んなことが様変わり。
在宅する日が出来たり、基本残業禁止になったり、おうち時間が増え時間の流れ方も緩やかになった。伯父や伯母達が亡くなったこともあり、人生について、老後について直視してこなかったことが突きつけられた感じ。
手塚治虫氏1970年(昭和45年)に出版『やけっぱちのマリア』に描かれている『男の一生・女の一生』だと、50歳でもはや性差がない、、、松田聖子さんでも60歳超えている今とのギャップ!
昔は終電乗り遅れて躊躇わず自腹で長距離タクシー乗って帰宅したり、始発まで仕事したりがあたりまえだった。終電乗れても、乗り越して結果タクシーってことも一度や二度ではない。
残業や出張に明け暮れてがむしゃらに働いていた30代より、今は遥かに楽な仕事量になったのに、ストレスや悩みは日々増してきている。
加え、コロナ禍を契機に、普通に働く気力さえも低くなり、なんだか我慢も徐々にきかなくなってきている気もする。
日々充実感もなく、リタイアシミュレーションに明け暮れているけれど、どの程度の資産で老後に充分なのか、いつ退職できるのか数値変えて入力してもなかなか判断出来かねる。
長寿大国日本において、一人で長く生き続けるのが厳しい時代、楽しみを見つけるのも、安心に暮らせるのも、金銭的な余裕あってのもの。また、最近は老人目当ての詐欺に留まらず、強盗など、老人が一人で安全に生きていくことができるのか?という治安面でも心配になってきた。
物質的には飽食のよい時代に生まれたお陰で、ここのバゲット美味しい!とか、このバターやチーズ最高!など、小さな喜びは簡単に手に入るのだけれど、漠然とした未来への悩みに、悶々と時間を費やすことが多くてもったいないなと思う。
『多くの人の悩みや問題には、解決策や答えはないんです』とは、最近流し見で耳に残った某YouTuberのお言葉。その通り!でもだからこそ悩んでしまう。
死も不安だが、むしろ想定以上の長生きの方が怖いのである。
■最近よく使うシミュレーター
いろいろ試してみて、秀逸だと思う。
資産の切り崩し設定を自動でしてくれたり、預金と投資を分けて計算できたり、複利やインフレ率が設定できたり、税金や社会保険料も自動計算してくれるが、微妙に算出方法が違っていてどちらも参考になる。
年金の金額は退職設定年齢で厚生年金がなくなる分適当に比例、心持ち少なめに調整。。。
今年一杯で辞めたら、いやいやあと1年後にしたらとか、パートやバイトに切り替えたら、この辺で引っ越しとくかな、支出はもう少し抑えられるか、など妄想しつつ、何度も回す。
無駄な時間と思っても、「不満」から「不安」に戻った時代だと言われる中、私の漠然とした老後「不安」が少しでも数値化して見えたらと願う日々。「不満」は勿論あるけれど、自力解消はできそうもないなと諦めてるきらいもある。
日本人の年収の低さ、低所得者が増えていることが話題になり、我が社もベースアップ対象として若年層のみ給与増と組合から発表があった。しかも、若年層は退職防止のワークライフバランス考慮で残業禁止など仕事量もセーブされてる風潮がある。
仕事の難易度、専門性に比例して給料も振り分けていただきたいが、我ら世代の給料は変わらずとのこと。。。上層部と若手に不公平感は感じるものの、勿論、給料をいただいている限りは精一杯働くつもり。
低所得の話題はちまたに溢れているが、はたして富裕層が増加していることはあまり話題にあがってきていない気もする。既得特権にしがみついていられる層と新興富裕層への富の集中。日本全体が低迷しているという風潮にまぎれ、同じ日本人からも搾取され、とり残されている現実はなかなか見えてこない。先日も某国営放送の会長の年収は総理大臣より多いとか、副会長や専任理事の給料、待遇、年金など、いやはや凄いなぁと驚いた。
高収入目指して転職、バリバリ働けるかと言うと、もはや転職自体チャレンジする気力が絞り出せそうにない。
が、我が社は転職者には独特の社風。我慢し切れなくなったら躊躇うまでもなく辞めるべきだと思ってはいるものの、目安としては90歳でほぼゼロになる目標資産額から退職年齢を逆算、はじきだされた年齢ですっぱりリタイアするのが一番と考えた!
フルリタイアには最低あと3年かな、う〜ん、、、やはりあと3年?でも、、、やっぱり3年かぁ。シミュレーターを回さずともある程度結果が想定できるようになってしまった、今日この頃である。先が長すぎる。
周りには、地域柄か親が一人となり同居をはじめ、かえって羽振りが良くなった方も少なくはない。実際に退職、羨ましい生活に入ろうとしている人もちらほら見られる。
まぁ、ない袖は振れないし、3年は長いのでセミリタイアとするためのリスキリングも、検討してみようと思います。本当に悩ましい。。。
飛び切りのウクライナ美人
20年以上も前、私の中のウクライナは、まだ旧ソ連≒ロシアという認識だった頃。長い夏休みに帰国せず、ロンドンに短期留学したことがある。
ホームステイ先に1週間遅れでやってきたのは併設された初級語学コースに通う予定のヴィクトリア。流れるように波打つ長い金髪、薄茶色にゴールドが散ったように見える虹彩の眼と、目が覚めるような美女で、スタイルも素晴らしい!
「ヴィクトリアです。ウクライナ人なの」と言われて驚いた。
ウクライナという地方があり、そういえば確か美人の産地だったか?と考えたが、初見で飛び切りのイタリア美人が来たーと思ったから。まるで "ヴィーナスの誕生" の絵画から飛び出てきたみたいに優雅に佇んでいたので。
どちらかというと、ボッティチェリよりウィリアム・アドルフ・ブグローの方。
彼女は英語があまり出来ず、初めての海外で、どこに行くにもついてきて、私が一人で行動すると憤る。
クラスもスケジュールも違うけれど、登下校も私に合わせるという感じ。ランチも夜のパブもエクスカーションも週末も小旅行も行くところ全部一緒。週末の早朝、蚤の市に散歩がてら出掛けたら、寝ていた癖に「なんで起こしてくれなかったの」と拗ねられた思い出も懐かしい。
学校や街中でも目立っていて、特に男性陣の眼は釘付け。
私が一人で歩いていても知らない人から「ハーイ」という挨拶が。挨拶に応える間もなく、決まって「あれ、ヴィクトリアは?」と目で探しながら聞かれるまでがデフォルト。「私の名前知らないでしょ!」とか心の中でいろいろと突っ込みながら、悲しいかな付属品のモブとして私の顔を認識しているんだろうなと、ある意味感心したものだった。
美人って凄い。
ある日のこと、渡英前から楽しみにしていた週末スコットランド旅行、週末の予定を聞かれたのでウキウキしながら予約してること説明したら、一緒に行きたいと。
えっ、ハイシーズンなんだけれど!?
急な予定変更でなかなか2人分の予約が出来ない、、、が、泣かれては仕方がない。予約追加はできず、空きのある夜行のコーチに変更、素敵なB&Bもキャンセルして、必死で探したユースホステルもどきが取れただけでも良かった。
長時間、狭く、硬いコーチのシート。お尻が長距離バスはもう嫌だと文句を言ったが、夏のエディンバラは本当に美しかった!
食事も2人の方が楽しい! 試しにハギスをと注文(私は2度と食べない)、ひとかじり分のみをギネスで流し込む。シェパードパイ〜今や私の得意料理となったくらい〜は本当に美味しかった!
夜の旧市街ゴーストツアーも1人だと申し込む勇気は無かったと思う。訛りがキツくてガイドが何を言っているのかほとんど聞き取れなかったけど。。。
今もあるのか不明だが、泊まったのは "ドリフターズ" ホステルだか、ホステル "ドリフターズ" だか。"放浪者"とはよく言ったもので、お世辞にもキレイとはいいがたく、シャワー室も言わずもがな。我慢できず掃除してシャワー浴びたけど、彼女は「こんなところで浴びたら病気になる」とそのまま過ごしていたのは文化の違いもあると思う。涼しいとはいえ長時間の移動に夏の日差しで汗はかいたし。。。ドミトリースタイル〜しかも男女混合だった〜は、後にも先にもこれっきり、もう2度とはない経験。
帰りのコーチ、彼女は深夜の休憩タイムにお金がおろしたいと銀行のATMへ。エラーでカードが引き込まれて、泣きながらどうにかしてと。
まだ、カードがそんなに浸透していない旧ソ連邦、これがないと手持ちがないので外国で生きていけないと言われた。深夜でどうしようもなく、翌日代わりに電話を掛けたり、支店に出かけたりと英語力が試されることに。。。
ただ、彼女は、いつ、どんな時でも、誰からでも声を掛けられると、脊髄反射かのように、にこやかに素敵な笑顔で応える。
滞英中ずっと最初から最後まで、側で見ていて、美人って凄いなぁ、でも本当に大変だなぁと実感したのでした。
今も、当時も、その昔も、実質違う国だったであろうロシアとウクライナ。ただ当時の私の認識では彼女は初めて親しくなった "ロシア人" だった。しかも、初めて一緒にお泊まり旅行した、とびきり美人でチャーミングなロシア人。
どうしているのかな、大丈夫かな、とウクライナのニュースを見るたびに頭をよぎる。
「お金あまり使えないの」とは言っていたものの、当時からすると旧ソ連邦からの留学生で、しかもクレジットカード?を持ってる人は少なかったのではないかと思う。身なりや態度からも富裕層に違いないと思ったこともしばしば。
ヴィクトリアは "ヴィクトリー=勝利" が語源。
美人でチャーミングな彼女に頼られたら何人たりとも絶対に断れないので、例えどんなに困った状況になっていたとしても、地球の何処かで幸せな人生を勝ち取って、素敵に、チャーミングに暮らしてるに違いない。
For here or To go?
留学して、一番初めくらいに覚えたフレーズ。
それなりにTOEFL対策や専攻分野の英語は勉強していたけれど、日常会話は想定外。日常会話に困ったり、事前に勉強する、とか考えてもいなかった。
後に、行きつけになったコーヒーショップで言われてフリーズ。
日本で言うところの喫茶店な感じで、テイクアウトできると想定していなかったこともある。考えたらここで飲むんだから、、、"For here?"と小声で応えた。疑問系なのにも関わらず無事オーダーも通り安心したら、マグカップ渡されて「はい、じゃあ、あなたは滝ね」と言われた。
???
なるほど、滝のマークのあるドリッパーにマグを置くのか。私が、自分で、、、軽いカルチャーショック!
他のコーヒーショップも似たり寄ったり。コーヒーショップもレストランもあるけれど、日本で言うところの喫茶店はこの国にはないんだなぁと。欧米の国々に行くたびに、日本の喫茶店のカジュアルなのに至れり尽くせりで、しかもチップがいらないという有り難みがよく分かる。
最近は外食も減り、喫茶店でゆっくりすることもなかったから、そろそろ素敵な喫茶店にでも行こうかな。
余談: スペインで初めて覚えたのは、"ナランハ"で、オレンジジュースを注文する時。オレンジジュースもジュドランジュも通じなかった。。。
飲み物の注文の仕方って重要。
「人生100年時代」と 平均余命
学生時代から語学研修、留学、出張に旅行と、結構な期間海外に行ったり住んだりしたこともあり、気付いたらお金が全く残っていなかった。
40代後半から老後が気になり、ようやく預金に勤しむ。
5年くらい前、転職して同僚からオフショアの投資というか投資信託で運用するという保険を勧められた。
「人生100年時代」と謳った講習会に2度ほど参加、真剣に検討していたけれど、少なくとも今後10年の入金がマストで、老後を考えると毎月結構な金額を積立なければならない感じ。
数年で辞めるとペナルティ、長期運用でボーナス、さすが頭の良い人が設計したのだろうという悩ましいプラン。
と、突然の組織変更で、また転職か早期退職したくなる(早期退職は金銭的には無理だけれど)ような状況で、辞めたら入金もままならぬと断念。
同僚はすでに10年以上経過しており、コロナ禍もありかなり運用益が出た模様。
7年くらいでかなりの複利効果と言われたから、私も運用してれば、、、と取らぬ狸の皮算用。
会社まだ続けているけど、いつまた、何時辞めたくなるか分からないし、たらればを考えても仕方ない。
新NISAを活用して、地道に投資信託で運用していくつもり。
銀行に勧められたアクティブファンドがマイナスのまま保有している方を早めに見切りつけなければ。
合わせ勧められた保険も早く解約しなければ。
医療保険も何十年も掛け続けて、一度も利用したことがない。
計算したらすでに数百万掛け捨てている、、、
老後のためにこれからずっと節約や貯金を最優先して過ごし、気がついたら何の楽しみもなく人生終了とだけはなりたくはない。
節約が習慣となるとお金を貯めるのは簡単だけど、使うのが難しいとはよく言ったもの。
亡くなるタイミングでお金は使い切るくらいが理想的。
平均余命を調べたところ、2022年度の統計だと女性の平均余命は前年比でマイナス!
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■主な年齢の平均余命
平成22年簡易生命表によると、男の平均寿命は79.64年、女の平均寿命は86.39年と前年と比較して男は0.05年上回り、女は0.05年下回った。
主な年齢の平均余命をみると、男女とも年齢が高くなるに従って、前年との差は小さくなる傾向となっており、特に女の平均余命は全年齢で前年を下回った。また、平均寿命の男女差は、6.75年で前年より0.10年縮小した。(表1、表2)
平均寿命の前年との差を死因別に分解すると、心疾患(高血圧性を除く、以下同じ)、脳血管疾患、自殺などの死亡率の変化が平均寿命を延ばす方向に働いているが、肺炎、老衰、不慮の事故などの死亡率の変化が平均寿命を減少させる方向に働いている(図1)。
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とりあえず、88歳を目安に誤差入れて90歳とし、100歳までの10年は計算外とすることにした。